今さら哲学を学びだす
以前にこちらの記事で書いたとおり、研究法の勉強を進めていました。
しかし研究法を学んでいくうちに、これはどうも哲学の勉強をしないといけなさそうだと思い至りました。思考方法や検証方法というのは哲学がベースになっており、わかりやすいところでいくと「帰納法」や「演繹法」もそうです。
高校時代は倫理の授業も受けてはいたのですが、センター試験は政経を選択したこともあり、あまり真面目には取り組んできませんでした。大学でも一般教養科目に哲学もあったと思うのですが、特に興味を覚えず受講しませんでした。
今となっては大学1、2年生のように時間のあるときに哲学のような教養を深めることは有意義だと思いますが、当時はアルバイトや目先の遊好に走っていたのでもったいない限りです。
とはいえ、過去に戻ることはできませんので、30歳を手前にして今さら哲学を学びだすことにしたのです。しかし哲学そのものを専攻するわけではありませんから、ゴールとしては自分の経営学の研究の素地として哲学の考え方を知っていく程度に置いています。
全体感を掴むという意味ではこちらの本が良かったです。
■「哲学用語図鑑」(著)田中正人
図解が多く、難解な哲学用語を解説してくれるのですいすい読め、理解が進みました。おすすめです。ギリシャ哲学〜現代思想まで幅広くカバーしています。
それから科学哲学の知識を深めるという点でこちら。
■科学哲学への招待(著)野家啓一
ざっくりとですが、「科学とは何か」ということの理解を深めることができました。
個人的には、
・ヒュームによる帰納法への批判
・J・S・ミルの提唱した「自然の斉一性」
・プラグマティズムの考え方
・クーンのパラダイム転換
あたりは面白いなと感じましたし、論文を書く上で大切な知識だと思います。読んで良かった一冊です。
その他、
も読んでみました。 構造主義というのは、下記の一説が端的に示しています。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちはほとんどの場合、自分の属する社会集団が無意識に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思想の主題となることもない。(内田,2012)
同じく構造主義の入門書という括りでこちらも。
著者の橋爪先生のユーモアがくすりと笑え、退屈せずに読めました。「はじめての構造主義」では第一章で構造主義の果たした歴史的役割が解説されており、ここだけでも読む価値はあるかなと思います。
1970年ごろから、マルクス主義の影響力が急速に低下していく。その穴埋め?に人々が求めたのは、ひとつは、構造主義・記号論の流れ、もうひとつは、エコロジーの流れである。かなり荒っぽく言うと、こう整理できるかもしれない。サルトルとレヴィ・ストロースのあいだの論争は、こうして思想が交代していく前ぶれのようなものだった。サルトルの実存主義が人々にアッピールしたのは、われわれひとりひとりが歴史に関わる意味を、教えてくれたからだと思う。マルクス主義によれば、人間社会は歴史法則によって支配されている。この法則は、絶対的(科学的真理)だから、動かすことができない。(中略)マルクス主義は、ユダヤ教と同じで、社会全体が一度に救済されることを目指すので、ひとりひとりの運命など知ったことでない部分がある。ところが、ヨーロッパ世界の人々は、キリスト教を通過しているので、ひとりひとりの人格や個性や自由に大きな価値を置く。そこで、マルクス主義の言うことはもっともだけれども、そこでこの私の生きる意味はどうなんだろう、という感想を持つ。サルトルの実存主義が、これにこう答える。彼は言う、われわれの人間の存在なんて、もともと理由のないことだったはずだ。どうせ理由がないのなら、いっそ、歴史に身を投ずることに賭けてみようではないか。そのほうが、はるかに値打ちのある生だと言えるはずだ、と。(中略)ところがこの点に対して、構造主義ははっきりノーと言ったのだ。(橋爪,1988)
これまで本当に縁のなかった哲学も勉強しだすとなかなか面白いです。他にも色々読んでいこうと思います。